生活リストラ作戦(7)


「わたしたちは ここにいます」──



突如現れ、その身体が限界を迎えて朽ちるまで、<生者>を食い物にしその数を増していく<ゾンビたち>。
ボロボロの<校舎>に立てこもりサバイバル生活を送る、わずか残された<生き残りの生徒>。
時に大変なこともあるけれど、・・・


いわゆる「日常系アニメ」と思って見始めて、なんか退屈だな、1話で切るか、と考えていたところへあの“衝撃のラスト”。
「ええええええ!」 なんだこれは、と、俄然気になってしまいまして、以来見続けている本作。
女子高校生とは思えないやや“オツムの弱い”主人公の少女「ゆき」の目に、この世の中は、まだゾンビ禍に苛まれる以前の姿として映っているようで──



・・・でも、これって。今の日本のこと、だよね。
ぼくにはそう、思えてしまったのです。



深刻な財政赤字と、急激な少子高齢化
このダブルパンチによって、これからの日本は正に“生き地獄”となっていく可能性があります。

このグラフを見ていただくとわかりますが、1993年以降二十年以上の長きに渡って、日本の財政はずっと赤字が続いています。
税金等で入ってくる収入に対して、各種政策で使ってしまう支出のほうが多いわけですね。


足りない分はどうするか、と言えば、これは持ち合わせのないときのぼくたち民間人と同じように、「借りる」わけです。
これが国債なのですが、借りたものはもちろん後になって、利子をつけて耳を揃えて返さないといけない。
にも関わらずまた翌年も赤字なわけですから、借金の返済に当てるお金を、また「借りる」。
こういうのって、・・・「多重債務」って言いませんでしたっけ?


日本という国は、これを20年以上、続けてきているわけです。
その借金は年々積み重なっていって、現在途方もない金額に達しています。

このグラフによれば、2010年に1,000兆円を超えました。
日本人全員が一年間汗水たらして働いて稼ぐ収入の、2.5倍を超えているのだそうです。


こんな事態になっている大きな原因の一つが、「度を越した社会保障」。


「税金」というと、何かとすぐ「ムダ遣い」が問題にされます。
このような考え方は、裏返したら「ムダでなければ使い込んでよい」と言われているように聞こえる。でも、たとえば、返せるアテのない借金を繰り返してそれを元手にボランティアを行う人がいたとして、その人の行動は「正しい」のでしょうか?
民間人の一人や二人の話であれば「変わった人もいるものだ」と傍観者として見ていられたとしても、国民全体を巻き込む「国」のとるべき姿勢ではないだろう。…ぼくはそう、思います。
それがこの「度を越した」ということなのですが、その詳細については下記の書籍を参照ください。


社会保障の「不都合な真実」

社会保障の「不都合な真実」

社会保障亡国論 (講談社現代新書)

社会保障亡国論 (講談社現代新書)


中でもやはり、ずっと問題視されている「年金」ですよね。


年金がまともに回らない理由はごく単純。若い世代が収めた年金を、高齢者にそのまま回しているためです(これを「賦課方式」と言います)。だから、少子高齢化が進むと、収める人と使う人のバランスが取れなくなって、回らなくなる。
これとは別の仕組みとして、退職金の積立とまったく同じ仕組みの「積立方式」があります。自分が老後に使うお金は、自分が若いうちから積み立てたところから出す、というわけですね。このかたちであれば、少子化の影響は受けません。
もともと日本の年金制度は積立方式だったのですが、途中で賦課方式にすり替えられてしまったのだそうです。おそらくは、当時の政権与党の人気取り(=票稼ぎ)のために。そのほうが、“当時の”有権者に渡せるおカネが増えますから。


少子高齢化が進むと年金負担が重くなり、財政に支障をきたします。
が、もちろんそれだけにとどまらず、「稼ぎ手」が減っていくわけですから、国の収入だってその分だけ純粋に減るわけです。合わせ技で日本の財政は加速度的に悪化していくことになります。


ところで、この少子高齢化の状況ですが──

この真ん中ぐらいに、「図1−1−4 高齢化の推移と将来推計」というグラフがあります。
戦後一貫して高齢化は進み続けており、特に1990年ごろから何かのスイッチが入ったように加速がかかり。
65歳以上の人が、2015年現在では4人に一人。これが今後もっと増えていって、2050年ごろには約4割の人が高齢者、という世の中になる。


年金についてはこんなグラフもあります。
先ほど挙げた参考書の著者がまとめた、「生年ごとの年金受給額−年金支払額」。

1950年ぐらい以前の生まれか、以後かでプラスマイナスが逆転してます。
このグラフ、これより新しいものが前掲書にありましたが、今の最高齢世代が「+3千万」なのに対し、最若年世代が「−7千万」、差し引き一億円ほどの差がある、というずいぶんとショッキングな数字だったように記憶しています。

国の研究機関がまとめたこの資料を見ると、大卒の男性が一生涯に稼ぐ給料の合計が2億5千万ぐらいとのこと。
でも、これって何かの間違いだと思うんですよ。だって、

この記事によればトップ500位ぐらいで2億5千万らしいのですが、それが世の大卒男性の「ふつう」なんでしょうか。
このような記事もあります。

「年収300万円時代」なんて言われたりしますが、仮にこれがずっと続いたとして、20歳〜60歳までずっと300万円だったとすると 40年×300万円=1億2千万円。実際にはこんな単純計算ではないのでしょうが、それにしたって2億5千万は遠そうですよね。
そこに1億円のギャップが上乗せされたら… 目も当てられない状況だったりしないでしょうか。



…というところでもう一度、本記事冒頭の文章を引きましょう。

突如現れ、その身体が限界を迎えて朽ちるまで、<生者>を食い物にしその数を増していく<ゾンビたち>。
ボロボロの<校舎>に立てこもりサバイバル生活を送る、わずか残された<生き残りの生徒>。
時に大変なこともあるけれど、・・・

ぼくがこの<〜>の中身をそれぞれ何ということばに置き換え、「今の日本と同じだ」と思ったのか。
もうおわかりですよね。


ぼくももう何十年かしたら、ゾンビの仲間入りです。
正直な話、これらのことを知って、これからのことを思って。ぼくはゾッとせざるをえませんでした。*1


夏の怪談はまだまだつづきます・・・



今の日本は多重債務者と同じだ、と言いました。


多重債務の簡単な解決法としてぼくたち民間人が採る手段は「自己破産」です。お金無いので返せません、チャラにさせてください、というわけですね。これを国がやると、「デフォルト(債務不履行)」とか「財政破綻」といった呼び方をします。
財政破綻と言って、今まっ先に思いつくのは、ギリシャ
では、日本はギリシャのように破綻するのでしょうか。


よく、こんな意見を見かけます。

日本はギリシャとは違う。
日本国債の大部分は国内の投資家(特に銀行)が保有しているので、海外投資家に叩き売られて国がつぶれるような、ギリシャと同じようなことにはならない。
だから問題ない。

ぼくはこの意見を目or耳にするたびに、「意味不明だな」と思うんです。
何を言っているのかぼくがまるで理解できないのは、「だから問題ない」という最後の一文です。


日本が破綻するのかどうか、それはわかりません。
お金を刷れば返せるでしょ、だから破綻は絶対に起こらないんですよ、と言われれば、「借金を無かったことにしない」という意味では、たしかにそうなのだろうとも思います。*2
でも、ぼくたち小市民が気にしているのは、「日本が『破綻』の定義に当てはまる事態に陥るか」のような“ことば遊び”なんかではなくて、具体的な“この”日々の生活が苦しくならないのかどうか、ということだったはずです。


問題は入るお金に対して出ていくお金のほうが多いこと。
これを解決するには、入るお金(=税金)を増やすか、出ていくお金を減らすかしかない、というのは小学生にもわかる理屈でしょう。
「景気がよくなれば(そして経済成長すれば)、所得は増えるし税収も増えるので解決できる。だから追加の増税も、支出の削減も不要だ」 この件に関してそんな話も聞きますが。いやまったく正しい指摘だと思いますよ。…よくなるなら、ね。


──ぼくは日本の今後について悲観的です。


二十年来変わらなかったことが、これから十年ぐらいのうちに変わるとはとうてい思えません。
社会保障の切り下げや「緊縮財政」には脊髄反射の問答無用で反対する人は多く、また少子高齢化の現在このような放漫財政によって「得をする」層の票数のほうが大きかったりするので、選挙によっても変わりそうにありません。ふだんだいたいうまくいく民主主義の、やや残念なところではあります。
財政的にヤバいことが明白であるにも関わらず、指をくわえて眺めていることしかできない。少なくともこの点で、日本にギリシャと変わるところは何もないのではないかと。


だから、「日本は(財政的に)終わる」ということを前提として、自分たちの人生を守るために、今後の生活の見直しを図らなければならないのだと思います。
もしこの予想が外れたら、いい方向に外れるわけだからそれこそ問題ないわけですしね。



というわけで、これに関して読んだ本やサイトの一部を参考までに紹介します。


日本破綻 「その日」に備える資産防衛術

日本破綻 「その日」に備える資産防衛術

日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル

日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル


書いてあることはだいたい同じだったので、以下にまとめてみます。
まずは、財政がいよいよヤバい、となったときに起きること。

  • 金利の上昇。
    日本ヤバイ、と思われて、国債に買い手がつかなくなります。それでも買ってもらわないとならないわけですから、投資家を釣るための撒き餌として国債金利があがるわけです。
    一方、ゆうちょを始め各種金融機関は、過去に発行された国債をたくさん持っています。満期の償還を待っているわけですが、以前に発行された「金利の安い」国債は、商品としての魅力が減る分だけ市場価格が下落します。
    金融機関としては時価で見た資産が縮んで経営危機につながりますし、貸出金利も引きずられてあがります。
  • 証券価格の下落と円安。
    国がヤバい、となったら、その国の企業等も一蓮托生でヤバいことになります。投資家はそのリスク・損失を避けるため、日本国内の企業への投資から一斉に手を引こうとします。銀行の「取り付け騒ぎ」と同じです。
    ここで手を引く、というのは、具体的に言えば日本の企業の株式や債券を売り、それで手元に入ってきた日本円を(おそらくは)米ドルに交換することです。
    証券取引の経験者は身を持ってご存知と思いますが、売られたものは安くなり、買われたものは高くなります。よって円安が起きます。

ちょっと補足しますが、ここで一時的な円高が起きる可能性はあります。こないだの金融危機でも、東日本大震災の際になぜか円高が発生しました。
日本の国内企業や投資家で海外投資しているところが、そのような危機に際して海外まで手が回らなくなり、手を引こうとした結果円が買われて円高となるのだ、という説明を見かけたことがあります。ヘッジファンド等の存在を考えても、短期的には何が起きても不思議ではありませんし。

  • (ハイパー)インフレ。
    金利上昇、証券下落等によって、金融機関の破綻が起きるようになります。それを予想して、自分の預金を守ろうと、預金者が銀行からお金を引き出そうとします。誰かが引き出した分だけ、その他の誰かの取り分が減るわけですから、皆「我先に」と引き落としのパニック状態が発生します。これが取り付け騒ぎです。
    その事態の収集のため、国は「財政出動」を余儀なくされます。国がお金を出して保証するから金融機関の破綻が起きませんよ、と言われれば安心するからです。
    しかしこのことによって、世の中には「お金」が追加で大量に出回ることになります。買えるものは限られているのにお金が増えれば、お金の価値が下落します。これがインフレなのですが、財政出動の度合いによってインフレの度合いも変わりますし、人々は「不安にかられている」わけですから、自分の身を守るために“より高く”売ろうと高価格競争が始まってしまいます。こうしてハイパーインフレが発生します。
    国の借金を返すのにお金を刷ればよい、という意見のあることを先に見ましたが、この場合もハイパーインフレが起きます、というか過去に実際起きました。だから国は、(今のところ)そのようなかたちでこの問題を解決しようとしないのです。
    また、このインフレによって円安が進みます。
  • 失業者の増大。
    ハイパーインフレにより物価が安定しなくなり、社会生活がまともに回らなくなります。経営体力の弱い企業は次々に倒産し、失業者が一気に増えます。
    日本の場合、失業と自殺に相関関係があるようなので、自殺者も同様に増えると思われます。治安も悪くなって「ヒャッハー!」な人も増えるかもしれませんね。

…と、こんなところでしょうか。


これによって一番ダメージを受けるのは実のところ、人的資本(働いて稼ぐ力)を使い果たし、固定資産と老後の蓄えと年金で暮らしていかざるをえない(これがこの状況でヤバいということは後ほど)、財政破綻の原因の一つでもある高齢者本人なのです。
もし本当に財政破綻したらIMF等の国際機関や諸外国が「日本の財政再建」のためにあれこれ指示を出してきます。これまで続けられたような放漫財政はその“外圧”によって方向修正を余儀なくされることでしょう。おかしな年金制度なんか、いの一番に改正の槍玉に挙げられることと思います。
丸山眞男をひっぱたきたい」、戦後民主主義は耳あたりのいいことばかり言うくせに結局何もしてくれなかったではないか、戦争が起きて何もかもまっさらになったらある意味“平等”な社会が達成されてうれしいのに、なんて論文が昔話題になったこともありましたが。
戦争なんかなくても、皮肉にも“民主主義”的な手続きによって、ご希望のまっさら状態が実現するらしいですよ!  ・・・・・う〜む・・・


で、いよいよ本題の、個人としてとり得る「対策」は、ということなのですが。


ここでミソになるのは、「奇跡が起きない保証はどこにもない」ということです。その確率がたとえ1%だったとしても、何とかなってしまう可能性はゼロではありません。未来のことは、よくわからないのです。
また、世の中は「ある日突然」変わってしまうわけではありません。こないだの金融危機のときも、サブプライム問題→リーマンショック→ユーロ(ギリシャ)危機、というかたちで少しずついろいろなことが起こっていきました。
だから、ここでの「対策」は、何かあった場合に対する(万一、というほど確率は低くありませんが)「保険」として実行するべきものである、ということになります。そうなると、必然的にできることが限られます。


というわけでまず、「微妙」な資産から。

  • 国外金融機関に口座をつくる
    外国語の習得がそもそも大変ですが、海外は日本よりも訴訟等のトラブルに巻き込まれるリスクが高く、難しいものがあります。また外銀に資産を持つと利益が出たら総合課税の対象になるため、キャピタルフライトを検討しないといけないような「富裕層」の場合、所得税がかさむので保険として持っておくのに厳しいものがあります。
  • 不動産
    そもそも高い」「流動性が低い(買いたいときに買えない、売りたいときに売れない)」という絶対的な不利があるので、保険として持っておくのは微妙です。また、過去の財政危機の実例からわかるように、危機が起きると価格が下落します。中立というわけではありません。


その次。

  • 日本円の普通預金
    ハイパーインフレに圧倒的に弱いため、保険として持っておくのは微妙です。ただ、破綻が実現するとは限りませんし、デフレの続いている日本経済に強いのが額面の変わらないこの資産であることは疑いようがありません。
  • 国内株式
    既に述べたとおり、そもそも下落します。また、倒産によって紙クズになる可能性もあります。ただ、ここまでの資産と異なるのは、流動性が高いこと、一時的に底を打ってもそのうちインフレに連動して価格が高騰していくこと。だから、どうしてもダメというわけではありません。


そして「有望」な資産。リスク商品については「保険」と考えることになります。

  • 外資産(外貨建て資産)
    国外金融機関に口座をつくらなくても、国内金融機関で海外資産を持つことは可能です。国内のインフレに中立ですが、気をつけないといけないのは、こないだの金融危機のときもそうだったように、日本が破綻するようなことがあれば「世界同時株安」が起きて、この資産自体ただではすまないというところです。
  • 国債ベアファンド
    国債の価格が下がるとその分だけ利益が大きくなるように仕組まれた金融商品です。これを勧める本が多かったのですが、自分として気になるのは、(財政破綻時に)そんなに魅力的なのであれば、すぐに裁定がかかるのでは、ということ。

国外金融機関に口座をつくらないでよいことになっているのは、「預金封鎖」(国による全国民の銀行預金の差押え)が実際には行われないだろう、ということを前提しています。
なぜ起きないかというと、それが憲法に規定された「財産権」の侵害になるからで、要するに憲法違反はさすがに国は行わないだろう、と考えているため。…もし本当に預金封鎖が起きるのだとしたら、それこそ国外脱出でもしないと避けられませんし、そんな国には怖くて住みつづけられないかも。



というところで。


来年のことを言えば鬼が笑う、と言います。英国の詩人アレキサンダー・ポープは「未来についての無知はありがたい賜物なのだ」と書き記しました。*3 あるアニメの主題歌でもこう歌われています ──「頭カラッポの方が夢詰め込める」、と。
「絶望」が“死に至る病”なのだとすれば、今・この時代に希望を抱いて生きていくには、積極的に「無知」であらんとすることが要請されているのかもしれません。


その意味で、『がっこうぐらし!』の「ゆき」は象徴的な存在なのでしょう。
<現実>が見えていないことは必ずしも「欠点」ではありません。それが彼女の<明るさ>の源泉であり、サバイバル生活を共に営む仲間たちを照らす希望の光でありつづける限り。



わたしたちは、ここ(日本)にいます。


あなたの目に映る窓、・・・ほんとうは割れてませんか?



以上、5年ぶりの「生活リストラ作戦」シリーズでした。前回までの記事はこちら。

根本的な生活リストラはここ はてなでblogを始めるきっかけになった「転職」だったりするんですけどね。
10年前のリストラも、5年前のリストラも、運がよかったのか、打った手の感触がよくて。ただ、今回ばかりは外れてくれたほうがうれしいなあ、と…(^^;

*1:この日本という国は、なぜこんなに「若者に冷たい」んだろう、とぼくなどは思ってしまいます。たとえば、本田由紀『軋む社会―教育・仕事・若者の現在』asin:4309410901鮎川潤『少年犯罪―ほんとうに多発化・凶悪化しているのか』asin:4582850804、大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど: 戦前のマナー・モラルから考える』asin:4794809549といった著作も参照ください。

*2:これを「日銀による国債引受け」と言いますが、法律で禁止されています。たとえば→日本銀行が国債の引受けを行わないのはなぜですか? :日本銀行日銀の国債引受けは、なぜ「悪魔的手法」なのか|ダイヤモンド・オンライン とはいえ、究極的な例外事態では憲法違反以外のことはなんでも行われそうな気がしますが…

*3:「神はすべての被造物から運命の書をかくす。彼らの見るものは限られた頁、彼らの現在のありようのみだ。獣は人間の、人間は天使の知るところを知らない。(中略)あゝ、未来についての無知は、神の定めた領域を埋めるためのありがたい賜物なのだ!(中略)未来の幸福は、知るために汝に与えられるのではない。それを憧憬し、現在の希望とすること、これが神の意志なのだ。希望は人間の胸中の尽きぬ泉だ。人間は幸福ではない、然し常に将来に幸福を期待する存在なのだ。(後略)」(ポウプ『人間論』asin:4003222415 pp.20-21)
原文はこちらで読めます→The Project Gutenberg eBook, Essay on Man, by Alexander Pope。引用箇所はこのへん「III. Heaven from all creatures hides the book of Fate,(〜)Hope springs eternal in the human breast: Man never is, but always to be blest:」