「若者論」者の欺瞞を見破るためのいくつかの論点(2)

前回提示した論点を乗り越えることができたなら、その議論は、まず今と昔の事実をしっかり押さえ、しかも現代の若者が過去のどの時代と比べても確実に「悪」であることを証明できた、ということになります。


しかし、もう一言だけ食い下がらせてください。

  • 論者が悪とみなす現状をつくりだした「責任」は若者にあるのか。

転職活動をしていたとき、2ちゃんねるの転職板のあるスレッドを見ていて、とても印象に残ったレスがありました。どのスレだったかとか、正確な文言は覚えてませんが、こんな内容。

「今どきの若者はすぐ辞める」って言うけど、「うちの会社はすぐ辞められてしまう」って言わないよね。

面白いことに、この二つってほとんど表裏一体のことだと思うんですが、責められるのは常に「若者」の側なんですよね(^^;*1
心理学や社会学に「帰属理論」と呼ばれる、ある事柄の起きた原因を人々が「何に」帰属させようとする傾向があるか、を考える研究領域があります。社会的な問題というのは何かといえば「若者のせい」にされますが、前回触れた「少年の凶悪化」言説に限らず、「ホントかよ」と思ってしまうことが多いですね。ホントかどうかに関わらず「悪いのは若者」と考える傾向が、ぼくたち人間の本能としてプリセットされているのじゃないか、と疑いたくなるぐらいに。

少し前に、2ちゃんねる利用者の年齢のメインは30〜40代だったという分析結果が出ました。「キター!」とか「ksk」とかいったいわゆる“2ちゃんねる語”を、30〜40代の人々がいっせいに書きこみまくっている姿を想像してみると……(^^;


急に話は変わるようですが、心理学者・クルト=レヴィンの「場の理論」と呼ばれる次のような定式があります。

B=f(P,E)

「B」はBehavior、「P」はPerson、「E」はEnvironmentの頭文字であり、こう書いただけで「関数」ということばの意味がわかっている人ならこの式の言わんとするところがただちに理解できたことでしょう。「BはPとEの関数である」。すなわち、「人の行動はその人の個人的特質とその人が置かれた環境の在り方によって決定される」ということを、この式は主張しています。
Bに問題があるとしたら、それはPおよびEによってもたらされているわけだから、その両方を変えていく必要があることでしょう。しばしば耳にする「若者論」の定型に、「マニュアル世代」「ゲーム世代」「ケータイ世代」「ゆとり世代(!)」といった言い方があります。そしてこれらはたいてい、次のような感じで使われます。

マニュアルがあるのが当たり前になったから、今どきの若者は自分の頭でものを考えなくなった。

とりあえず何も考えずにこの命題の土俵に乗ってみるとしましょうか。しかしそれでも、この命題が暗黙のうちに含意している主張、あるいはこの命題の現れるコンテクストで述べられているだろう主張には、以下に示すような“奇妙さ”があります。
この文章をレヴィンの式に当てはめてみましょう。B=「自分の頭でものを考えない」、P=「今どきの若者」、E=「マニュアルがあるのが当たり前の世の中」。こうなりますよね。先ほども述べましたが、このBが問題ならPとE両面から対処していくべきなのに、なぜかPばかりがクローズアップされてしまう。
さらにおかしいのは、この文章の条件構造を見てみた場合、「若者が自分の頭でものを考えなくなった」その原因は「マニュアルがあるから」、と言っていないでしょうか。だとすれば。空き地で野球ごっこをしていたら、ボールが思いがけず遠くに飛んで隣家の窓ガラスを割ってしまった、という場合に、

「ボールがぶつかったら窓ガラスが割れた、だから窓ガラスが悪い」

なんて言いぐさが通用するでしょうか……などと言うと、コドモのへ理屈のようですが(^^; しかしそれに近いことを、「若者論」者たちは主張してはいないでしょうか?


というところで、以下次回。

*1:就職四季報』を見てわかるように「離職率」というものは会社によってバラバラであって、数%というたいていが定着する会社もあれば、20%を超えるバタバタ辞める会社もあります。離職率の高い会社は労働条件の面で何らかの問題を抱えているのが常ですよね。