前の仕事と今の仕事

前職の現場での仕事の様子は、たとえるなら、これは以前にも書いたかもしれませんが、「他のプレイヤーはなぜかそこらの小学生ばかりという監督不在のサッカーチームで試合をしている」という感じでした。
その原因と考えられるものの一つは、その場にいない監督(たち)のマネジメント能力の欠如。いわゆる“放漫経営”というやつで、収支や費用対効果といったものを度外視しつつ、世の流れ、業界の流れ、客の言うことにただただ流されるばかりのひどく場当たり的で杜撰な運営の仕方をしていました(少なくともぼくにはそう思われました)。文字通り“いない”からいろんなことにブレーキがかかって、土壇場で大変な思いをさせられることも多かったし。
それから、先述の経営問題や不況等いくつかの要因が重なることで、正社員が大幅に減らされた穴をパートで埋めたことによる、業務能力の全般的な低下と、業務の一極集中。
前者について言えば、フルタイムの選手が少数、後はパートタイムの(!)選手というプロサッカーチームというものを想像してみてください。そのパートタイマー選手個人の素質そのものに問題はなかったとしても、戦力の低下は免れないでしょう。それに、“働き盛りの”男性の手が(も)必要だというのに、時給700円とかでマトモな人が雇えるものでしょうか。そうして、たとえば敵側のボールに団子になって群がるサッカーチームができていくのです。
後者についてはこういうことです。司令塔の指示がなければ動けないプレイヤーが、しかもゾロゾロいたらどうなるでしょうか? そして、ボールを得たら何はともあれ司令塔に向かってボールを蹴とばす人ばかりのチームだったら? ……しかも、もちろん(!)試合中のグラウンドには監督の姿もありません。給料が安いもんだから、子どもができたりするとやっていけなくなって、ある程度の歳になると皆パタパタ辞めていき、そのため「ベテラン」もほとんど残ってなかったし。


転職してからいくつか会議に出て。ぼくは、驚いた、というか、ほとんど“感動”してしまったんです。マトモな会社にお勤めの方にはそれが当たり前なので、ぼくに共感されることもないのでしょうけど(^^;
若手を育てるためにあえて大きな仕事を任せつつ、上の人間がバックについてきちんと状況を把握し、場合によっては介入して、現状の課題を的確にまとめ、それに優先順位を明確につけ、時間的・経済的・体力的精神的な限度を考えてどうしても難しそうなことについては、上が責任をとる、防衛ラインは俺らが死守するから、おまえら安心してがんばれ、と*1
今のぼくの仕事は、やはりそれなりにキツイものであって、それはこのblogの更新間隔に如実に表われていますが(^^; 一人ひとり粒ぞろいの有能なメンバーが上も下も一丸となって進んでいくこの状況は、まさに「赤信号、みんなで渡れば怖くない」。“赤信号、一人で渡ってはねられた”というような前職の状況とのこの違いに、「マトモな会社って、やっぱりマトモなんだ」と感動で少々混乱した感慨をぼくは抱いたのでした。
まあ、そんなことができるのは、それなりの社会的威信があっていい給料を払うことができ、それもあって有能な人材を集められる会社だからなのでしょうが……。


しかし、これはひとに言ったことですが。「職場」でなく「仕事」で考えたときに、現職と前職を比べてみると、一言で言って、今の仕事はぼくにとって「面白い」仕事、前の仕事は「楽しい」仕事、どちらが好きかと聞かれたら、ぼくはハッキリ「前の仕事」と答えます。好きでなければやってられない仕事でもありましたが(^^;
自分のしたことがすぐに形になって結果として返ってくる。仕事の範囲はときに広く「国」全体にまたがり、職場では最先端の、それまでニュースでしか耳にしなかったようなことが現実に仕事の話題として社員の口にのぼる。もともと勉強好きで常日頃勉強ばかりしているのでそれがそのまま仕事に直結する今の仕事は、たしかに「面白い」です。しかし、常に競争、成長、市場といったことを意識させられるのは正直しんどいし、安定志向のぼくにとって楽しいことでもありません。前の仕事は、たしかに自分の行ないの結果はなかなか見えてこず、達成感は得られにくい。地域密着を目指して、職場の範囲は広くとっても「市」のレベルがせいぜいというところ。狭いところにこじんまりとまとまっている感じで、とにかく地味です。給料も安いし。それでも、あんなに楽しく、笑いの絶えない仕事はぼくには他にあまり思いつきません。
今の仕事で身につけられることは意外といろいろな場面に応用が利きそうなので、しばらくこの仕事を続けて、もし前職の業界の先行きがよくなりそうだったら、カムバックを視野に入れたりもしつつ、とりあえず目の前の仕事に勤しんでいるところです。

*1:ぼくは基本的に、「がんばれ」ということばが嫌いです。というのも、「がんばらなくても楽しく生きていけること」を理想としているからですし、一般に「がんばれ」ということばは、他人事に向かって投げかけることばでもあるからです。ただ、今回「がんばれ」ということばに心動かされてしまったのは、「俺の屍を越えてゆけ」的なものを感じとってしまったからかもしれません(^^;