ヘタレた日々の交々。

今日はちょいヘタレモードです。
自分自身はけっこうのびのびやってるんですけど、周りの話を聞くと、気が滅入ってくるようなことがここ数日たび重なってまして……。
実家の状況のこともかなり鬱なんですが、そのことについてはここでは詳しく述べません。まーでも、嫌な思いをしてまで帰省するのもバカらしいな、とは思った、ということだけ。


前の職場の同僚からメールが届きました。
過労ということも一つにありましたが、それ以上にいろいろウンザリすることが多く、上がこの人たちではどうしようもないなという思いから、「見限る」というかたちで退職したんですが、ぼくが抜けた後の状況を知らせてくれたのでした。
ぼくの辞めた後、現場を任されていた中堅の退職者が続いているようです。どうしようもない上と、下との仲介役を、ただの一ヒラ社員であってその役割でないにもかかわらず、半分は責任感から半分は仕方なしにぼくは務めていたのですが、そのぼくが辞めることで、会社の将来に絶望して辞める下の人たちが出てくるのじゃないか、とは事前に思っていました。
その後の一連の退職が後追い辞職なのかどうかはわかりませんが、しかし一つ確実に言えることは、そうして社員が辞めていって残されたうちの「心ある人」たちの大変さは、想像するに余りあるだろうことです。同情の念は禁じえませんが、辞めようと思えばいつでも辞められる状況にあった*1ぼくに比べ、残りの人はぼくほどには簡単に辞められないので、その点でもキツイことだなあ、と思います。特に結婚している人は、どんなにヒドイ職場だからといっても働いて養っていかなくちゃならない家族がいるわけで、職場に家族が人質にとられているようなもの。こういう現実を見ていても、うちの親を見ていても、結婚する気が殺がれていく一方なんですよね。なんだかなあ。


高校卒業以来顔をあわせてない古い友人からメールが届きました。高校時代の友人から連絡がくる、というだけで自分的にけっこうヘコんでしまうんですが、それには事情がありまして。
ぼくは新宗教系の高校を出てまして、その学校には基本的に、その教団の熱心な信者の子弟が通っているんですね。ぼく自身もその端くれではありまして、もともと親が信者で、ぼく自身も生まれながらに入信した(させられた)わけですが、半分は親や周囲の信者による宗教教育、そしてもう半分は自身の欲求から、それなりの信仰心と教団への忠誠心を抱いてました。が、生来の天邪鬼な性格(懐疑精神)が、災いしてと言うべきかどうか、教義に対する疑念が中学時代からどんどんとふくらんでいって、高校を出る頃にはそれが抑えきれなくなってしまい、結局成人と同時に棄教したわけです。
すったもんだがありました。かなりツライ状況に陥りました。それについてはまたおいおいお話をする機会もあるかと思いますが、ともかくこのことによって、ぼくは高校時代の友人と縁を切らねばならないことになったわけです。教義に疑念を持ちはしましたが、友人たちの明るく誠実な人柄にぼくは疑いを抱いてません。いませんがしかし、棄教した以上は、もうつきあっていくことができないのです。別れた恋人のようなものかも。性格の不一致とかじゃなくて、主義の相違(相容れないこと)で別れたもんだから、もっと根は深いのですけど。
そんなわけで、高校の友人には、懐かしいな、今どうしてるかな、と思うことはあっても、だからといって会って話をするわけにもいかないしな、と、いつもいつも心苦しく思うのです。


はあぁ……。

*1:ヒラ社員であったので、立場上代わりになる人がありえたのと、退職後の生活の心配が比較的少なかったからです。その条件とは、(1)独身であること:扶養家族がいないこと、(2)男であること:女性に比べ再就職がしやすいこと、(3)若いこと:年かさの人に比べ以下略、(4)学歴があること、そして(5)実家が自営業なので最後の手段がありうること。