ニコマス20選あとがき

自分の20選記事を挙げてから、他の方の20選めぐりをしていました。
そしたら、自分が最後の最後に選外にした作品の製作者さんがいらっしゃって、その制作意図について述べた文章を拝見し、「ああ、そういうことだったんだなあ」と思って感じいるところがあったので、追記のかたちで紹介させていただきます。

  • 胡桃坂さん


20選の選択基準は「何回もリピートしたお気に入りの作品」ですが、そういう動画って実のところ20どころじゃなかったりするんですよね。で、それ以外の基準を使って削って削って20に収めるんですが、その基準の一つに、「一見さんお断りでないもの」「見た人をこの世界に引き込めるようなもの」というものがあります。
ぼくのblogは、その前にやっていた本館からずっとそういう趣旨ですが、読んだ本(主に学術系)の感想や世の中について考えたこと、というのがメインになっており、読者も友人知人以外はぼくと同じ頭でっかちなタイプの人が多いのかな、と思っていて。ぼく自身アニマスを見るまでアイマスファンではなかったわけですから、そういう想定の上で、別にアイマスファンというわけでなくても、その魅力が伝わるような作品を選ぶようにしています。
この作品もお気に入りの一つで20選候補に最後まで残っていたのですが、「議論を呼び起こす要素」があり実際コメント上でも議論の起きているところが、ファンでない人をアイマス/ニコマスから遠のかせると感じられたため、選外とさせていただいていました。


今回制作意図を拝見しました。

ぼくが昨年末「ニコニコ」について書いたことと、まったく同じ問題意識でもって「アイマス」について述べられていて、ああ、そういうことだったのか、と。


ぼくがニコニコについて書いた記事は以下ですが、

ここで述べたようなことは、その中でも書いていますが、ぼくにとってはそれについて考えることがなかばライフワーク化していて、手を変え品を変え同じことを何度も何度もしつこく議論しています。たとえば、以下のようなエントリも実はその一環だったりします。*1

人ってそもそも変わるようにできていて、卑近な例で申し訳ありませんが… たとえばぼくなんか高校ぐらいまでワサビが大の苦手でしたが、タコが好きな関係でタコわさを食べるようになった大学以降は逆に好物になってしまいました。これってよく「大人の味がわかるようになった」なんて表現されますけど、ぶっちゃけ「老化」の一種だろうとぼくは思っています。そんなこんないろいろなことがあって、人は「同じままでいられない」んですね。
一方で、人は、「私の同一性」(アイデンティティ)に固執する存在でもあります。
この矛盾する二つの力のせめぎ合いが、世代論とか、新参・古参論争とか、「近頃の若いもんは」とか、3年目の浮気とか(^^; そういった問題をドライブする心性のうちに働いているものだと思うんですよね。


なんでしょうかね。
動画につくコメントは楽しいものばかりではなく、いろいろ見ていればそれだけ多くの不快なコメントが目に入ってきます。うp主さんを中傷するものもあれば、とりあげた題材をけなすものもあったり。「○○はオワコン」なんてコメントを見かけると、嫌なら見なきゃいいのに、そんなこと書いて何が楽しいの?と。
でも、これこそ先に述べた矛盾する力の働きなんですよね。人に「飽きる」という心性がある以上、心変わりって否応なくしてしまうもので、そうして変わってしまった今の自分をしかし正当化せずにはいられない。コメントなんて誰が書いたかわからないのに、否わからないからこそかもしれませんが、自己正当化のための捨て台詞を吐かざるをえない心境に追いやられる。
そうかと思えば、先のアインシュタインのように、変わるべきところで変わることができず、変われない自分を自己正当化しようとしてみたりすることもありますし。「人それぞれ」でみな価値観が違っていて、同じものを好きな人もいれば嫌いな人もいて、好きな人同士でも見ているものが違っていたり。
難しいなあ。みんな素直にニコニコできたらいいのに。

*1:下の記事なんてもう5年も前の書きものですが、さらに5年前の本館記事を転載しているので、何やかんやで10年以上もこんなことをずっと考えていることになります(^^;