高増明ほか『ポピュラー音楽の社会経済学』

あともう一冊。こちらは「権利者削除」について考えようと思って手にしました。


ポピュラー音楽の社会経済学

ポピュラー音楽の社会経済学


Amazonのページにも書いてある惹句を引用すると、

なぜCDは売れなくなったのか?
なぜ日本の音楽シーンは世界から孤立し、画一化してしまったのか?
音楽産業の現状、デジタル化や著作権の問題、ロックの歴史と日本のヒットソングの構造まで、ポピュラー音楽の歴史と現状をトータルに解説する初の大学テキスト!

たしかにウソではないのですが、……内容が薄すぎました。
「大学テキスト」とありますが、高校生向けの音楽社会学のテキスト、という位置づけぐらいでいいんじゃないですかね。テキストだから幅広い話題に触れる必要があり、本来それぞれ一冊の本を書いてしかるべき内容が各章に圧縮して(というよりは削られて)記載されている、という感じ。そのせいでどうしても、内容が駆け足ではしょりぎみになっている、というか。


本書の第一章は「日本の音楽産業の現状と問題点」と題して、音楽業界の売上高が減り続けている原因について考察するというものなんですが。
年ごとの「生産額」のグラフというものを示されて「さあ、減ってるでしょう!? 音楽売れなくなってきてるでしょう!?」と言われても、「物価変動」の考慮はどうしてるのかとか、他のメディア消費との関係とか*1、あるいは「売上高と純利益の区別」の問題とか、経済学でこの手のグラフを持ち出すときの常套的な議論だと思うんですが、そういう話が出てこないので「ちょ、おま」と言いたくなりましたし。
違法ダウンロードが多いからCDが売れなくなったと言うが、違法ダウンロードの多くは「ちょっと聴きたい人がやるだけ」で、違法ダウンロードができなくてもだからCDが売れるようにはならない、という議論は、たしかにそういうこともあるかもなあ、とは思いますが、それを具体的な調査をもとに証明しているわけではありません。
少子高齢化で購買層(20〜30代の男性)が薄くなったと言うが、高齢化は一方で購買層の年齢の拡大にもなっている側面を見逃してはならない、という議論も、たしかにそういうことも(以下略


挙句の果てに、ですよ。

図表1−8は、2010〜12年のオリコン・シングルチャートのベスト10とレコチョク・ベスト10を比較したものである。オリコン・シングルチャートでは、3年間について、ほとんどすべてをAKB48と嵐がベスト10を独占している。(p.17)
(中略)
このようになった理由は何なのだろうか。前述のように、制作サイドのレコード会社などからすると、音楽ソフトの売り上げが減少するなかで、確実にある水準のセールスを期待できるジャンルにプロモーションを絞る傾向が出てきている。その結果、周辺的なジャンルには切り捨てられていく傾向が強くなっている。また、現時点では、もっとも忠実にDVDやCDを買ってくれるのは、アニメのファンであろう。したがって、レコード会社はアニメとのタイアップをめざし、そのためには、アニメファンに受け入れられるような音楽を制作するようになる。しかしながら、アニメファンの音楽的嗜好は、けっして先端的なものでも、世界的なトレンドを反映したものでもない。(p.20)

著者は、要するにここで「いまの日本の音楽シーンは一様化し、先端的でも国際的でもなくなった。ああ悲しいなあ、憂うべきことだなあ」と言っているわけですが、AKB48と嵐の話をしていたはずなのにどうしてここで急にアニメファン叩きを始めるのかがよくわかりません。*2
いや、その裏にはそれを裏付けるだけのデータや議論があるのかもしれず、それならそれを示してくれればいいのに、と思うんですが、一事が万事でこういう感じの本です。それに、音楽が売れなくなった現状を嘆いているクセに、買ってくれる人を叩くとかどんだけ、とも思いますし。
日本のポップスのいわば「ガラパゴス化」を嘆いているのも文面から読み取れますが、先端的でなかったり世界的なトレンドを反映していないのが仮に事実だとして(たしかにそうかもしれませんが(^^;)、なぜそれがダメなのかも説明されていません。
もう一歩踏み込むと、そもそも日本の音楽が先端的だったり世界的だったりしたことがこれまで一度だってあるのか、という話もありますし。だとしたら、アニメファン“だけ”がここで難詰されるいわれは何もないことになりますよね。*3
ぼくはニコニコでアニメ放映をやるようになってからアニメを見るようになった人間で、「投稿される動画の一つ」という目線で見ているだけですから、ファンというほど熱心でもオタクというほど知識があるわけでも全然ありません。そんなぼくが目くじら立てて反論するようなことでもないのでしょうが、このような瑣末なことがらからも、本書の“薄さ”は理解いただけたのではないかと思います。


音楽社会学」ということでウェーバーアドルノといった旧来の権威を持ち出さず、なるべく<いま>のトレンドを具体的な内容で記述しよう、という姿勢自体は評価できると思いますので、今後に期待、というところでしょうか。*4

*1:「Video Killed The Radio Star」という話もありますしね。そもそも音楽ってそれほど特権的なものなのかという話もありますし、ぼくが以前から述べているように、ピークに比べて落ちているからダメになったという議論はナンセンスだと思っています。たとえば→「若者論」者の欺瞞を見破るためのいくつかの論点(1) - hideo's hideout.森達也『スプーン』(3) - hideo's hideout.
これ書いてちょっと思ったんですが、この著者の議論って「今どきの若者は」って言ってるようにも聞こえるんですよね。ぼくが反感を持つのはそのせいもあるかもしれません。

*2:もし画一化の例としてアイドルマスターが採りあげられていたら、ぼくは「いや、アイマス曲って振れ幅が大きくて、アイドル歌謡の枠でひとくくりにできないよ」と反論したことでしょう。そのことは、ぼくがよく知らないAKB48や嵐にももしかすると言えるかもしれません。だとしたら、ある特定のアーティストがチャートを独占したことが、イコール「音楽の画一化」と呼べるのかどうかも議論の余地があると思われます。もちろん本書はそこまで踏み込んでいませんが…

*3:2014-09-28追記:これ書いたときは、『スキヤキ』って例外はあるけど、それ以外になんかあったっけ?と思ってたんですが。少しして思い出したんです。
スーパーマリオとかゼルダの伝説とかポケモンとか、どの国の人でも知ってますし、単に“知ってる”だけじゃなくて“好き”でいてくれてますよね。YouTubeで「super mario」「the legend of zelda」等で検索すると外国の人が撮ったり作ったりした動画がこれでもかというほど出てきて、演奏している様子を映したものもたくさんあります。「世界に誇る日本の音楽」ってこれなのでは?と。
…まあ、本書の著者のアニメについての態度からするとゲーム音楽も認められないかもしれませんし、歌以外の音楽は眼中にないかもしれませんが。

*4:2014-05-04追記:著者ご自身はもしかすると正確な理解があるのかもしれませんが、網羅性を確保するための省略によってか、記述内容がほとんど「ウソ」になってしまっている箇所も本書にはあるのでご注意。
pp.132-133「著作権法と正義」と題して音楽の違法配信と政治哲学の関係を話題にしていますが、政治哲学を自由至上主義とそれ以外に分ける超乱暴な二分法、とりわけマルクスロールズ、サンデルらだいぶ様子の異なる考え方を「自由至上主義ではない」というだけの理由で全部ごちゃまぜにした上、この非-自由至上主義を「コミュニタリアニズム」と呼んでしまっているのは、さすがにそれはないだろうと。政治哲学は「マトモな哲学のすすめ」で触れる予定があるので今回細かいことは述べませんが…