登場人物の口調と社会的役割

マンガやアニメ、小説やテレビドラマなんかにふれていて、小さい頃とても疑問に思ったことがありました。それは「登場人物の口調」です*1


たとえば、女性の登場人物の「あら、」とか「〜のよ」「〜だわ」。ぼくは関東生まれの関東育ちで関東弁を話す、いわゆる“標準語”圏の人間ですが、周囲を見渡してもそんな話し方をする女の人を見たことがありませんでした。違いといえばせいぜい、自分のことを「わたし」と呼んだり、「かわいー!」と叫ぶことの割合が男よりも多いというぐらいで。
そして、それ以上に違和感を覚えたのは、老人の「のう、〜さんや」「わしは〜じゃ」という話し方でした。周りに“老人”と呼べそうな人が少なかったのですが、ぼくは、これはおかしい、こんな話し方をする人なんてどこにもいないじゃないか、と思いました*2中国地方出身の母の話で、これが中国地方の方言に近いということを後に知ることになります。
登場人物がみんなこんなふうにおかしな話し方をしているというのに、それに疑問をもつ人があまりいない、ということも、子供心に「おかしい、おかしい」と思っていました。他にもいろいろと疑問に思うことが多くて、それに対して何の疑いももっていないように見える周りの人間が、ぼくには「一見ふつうの人間のようだけど、本当はロボットなのじゃないか」と思われて、恐怖感でいっぱいになったこともしばしばでした。いまふり返ってみると、そういうことで悩む子どもの存在自体がずいぶんと珍しいことだなあ、と思いますし、実際、当時は(今でもそうかもしれませんが(^^;)ぼくは老若男女ひっくるめて周囲の人間のほとんどに「変わり者」として認知されていました。


しかし、考えてみるほど、なぜ、という疑念は尽きません。
女性の登場人物がいわゆる「女言葉」を話すことになっているのを、仮に認めたとしましょう。しかし、それでも、なぜ老人が「中国方言」を話すのかには説明がつきません。そう考えはじめたときにふと思ったのは、そういえば『まんが日本昔ばなしISBN:4576051849うか、と。「昔々あるところに、〜という若者がおったそうな。」これってどこのことばでしょうか? 何かここにも、「現実には存在しなかった“伝統”」の捏造、といってカドが立つなら創造(想像)と言い換えてもいいですが、そのニオイが感じられるように思います。
登場人物がなぜ“標準語”を話すのか、ということについては、金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』ISBN:400006827Xあったと思いますので、そちらを参照してください。「〜ですのよ、おほほほほ」みたいな“お嬢様ことば”の発生といったことについても書かれていたので、とても面白く読みました。


この「登場人物の口調」の件で最近(といってもしばらく前ですが)引っかかりを覚えたのは、『白い巨塔ISBN:4106445166山崎豊子の小説『沈まぬ太陽ISBN:410644531X
登場する面々の人物造形がとにかく紋切り型で、女性といえば必ず楚々としていて「私は〜ですのよ」と話すことになっている。シリーズの最初で労働運動、半ばあたりで日航機墜落事故をとりあげているので時代背景のモデルは60〜80年代と思われますが、そのころすでに時代は「限りなく透明に近いブルー」あるいは「なんとなく、クリスタル」だったはずではないか。悪役が純粋に腹黒く描写されているのもどうかと思うし、“腐敗した権力の批判”をテーマとしておきながら、男性登場人物の女性への、あるいは主人公が発展途上国に出たときの宗主国民然としたふるまいの権力性を問題にしないのはなぜなのか。
細かいアラを採りあげればキリがありませんが、一つだけ挙げておきましょう。なにぶんにもだいぶ前に読んだ話ですので正確に記憶していないことは大目に見ていただきたいのですが、主人公がアジアのどこかに出張していて、地元で物品調達の必要がありました。いくつか店を回って辿りついたお店で買い物をすることになったわけですが、店主は現地語しか話せず、店主の息子だか甥だかがそれを英語で通訳して話をした。店主の発言にいちいち「と、〜が通訳した。」なんてト書きを付さずに、あたかも店主が直接話をしているように書いてあるのはかまわないし、「〜ですぜ」というおよそ通訳の口調とは思われないものを百歩譲って認めたとしても、店主が主人公をさして

「ムッシュ」

と呼びかけるのはなぜなんでしょうか。まさか「ムッシュ」=「(現地語で)お客さん」なんてことは……ないですよね?(^^;
題材はともかくとして、とにかくディテールへの無関心さというか、文章力のなさが目について、この人の小説は何というか、作家というより新聞記者が書いたよう感じがしました。ハイ偏見です(^^;;*3

*1:この話、途中まで書いてみて以前書いたような気がしてきたので、過去のエントリを探していくつか当たってみたんですが、見あたらなかったのでそのまま載せます。もし同じ話を繰り返してたらスミマセン(^^;

*2:そこには子どもらしい限界があり、「周囲の人間」として比べる対象のないことには疑問や想像の及ぶことはありませんでした。たとえば、関東が舞台というわけでないのに登場人物のほとんどが“標準語”を使っていることは何とも思いませんでしたし、外国人や宇宙人までもが「日本語」を話していることに至ってはまったく疑問の抱きようがありませんでした。

*3:同じく日航機墜落事故をモチーフとした小説に横山秀夫クライマーズ・ハイISBN:4167659034こちらの著者は元・新聞記者ですが達筆です。これがただの偏見にしかすぎないことの証拠として提示しておきます。