社会人の“前・後”についての雑感

ソフトハウスの実態についての告発記事を見たんですが、「世間知らず」の一言で片が付いてしまいそうな内容で、告発する側もされる側も、どっちもどっちかな、と、ぼくには思われました。
ただ、世間に出てなくて世間知らずなのは当然のことで、知らないことで失敗するのだってごく当たり前のことでしょう。これによって生じる問題を緩和するためには、予防的な対策として「世間知らずを減らすこと」、事後的な対策として「失敗しても取り返せること」を実現する仕組みが必要だと思います。
後者については、「第二新卒」ということばが出てきたりして、以前より状況は少しずつ(ほんとに「少し」ですが)よくなってきているようにも思われます。前者については、“社会”に出る前に、世の中のよくないところ、実像をきちんと伝え、あまり夢を見すぎないように教育するメディアが必要ではないか、と。前から書いてることばかりですが。
このところいくつか別のblogの記事で大学と世間との関わりの話を読んだためもありますが、今の世の中、もっと「社会人学生」が一般的になっていいのじゃないか、と。大学までとそれ以降がプッツリ途切れてるところから生じる問題が、このところぼくのアンテナに引っかかってくることが多くて。これも広い意味でレリバンスってことなんでしょうかね。


子どもは夢を見る人、大人は夢を見せる人*1
そんな話もありますし、日本はまさにそういう社会のように思われます。しかし、そういう在り方は“不健全”だなあ、と。なんだか、子どもから大人になるとガラリと状況が変わるのは、急停車するみたいで、これで事故るのも当然ではないか。なだらかに接続されたほうがいいはずだし、それに、大人だってもっと夢を見たい(^^;
外国の話を聞いていると、子どもばっかり甘やかされていい思いをしている日本と違って、というように思われることが多かったりするんですが、しかしこれは「隣の芝生は青」く見えてるだけなのかもしれませんし、あるいは実情とはかけ離れた情報なのかもしれません。


そう言えば、駅のアナウンス等でこないだから「犯罪のない住みよい町をつくりましょう」とか何とか盛んに流れてますが、ぼくにはとても気持ち悪く感じられました。オウムの“洗脳テープ”みたいで。イメージとしては、『1984年』の「ビッグブラザー」。あるいは、『デビルマンISBN:4062603160、でしょうか。
今は昔に比べて犯罪が断然少なくなったのに、無菌室までいかないと気が済まないのかな、菌と一緒に人まで殺すハメにならないかな、あまりにクリーン過ぎて日本全体が「筑波病」にならないのかな、なんて。「白川の清き流れに〜」ではありませんが、原作版『風の谷のナウシカISBN:4197735812の流れに、いまの状況を重ねてみたい感じがします。
もちろん、ぼくは「犯罪があってほしい」なんて思っているわけでは当然ないですよ。ただ、世の中は少なくとも犯罪に関しては比較的よい状況にあるのに、そんな中でこんなアナウンスを繰り返すのは、世の中の余裕のなさというか、ゼロトレランスな傾向がむき出しになっているようでいい気分がしないんですよね。だいたい、こういうもののお題目としては「青少年の健全育成」とか「子どもを守ろう」とかが挙げられるのが常であって、ぼくなんかに言わせれば、もう十分じゃないか、そういうものばかりにかかずらって、他の大事なことから目をそらされていいのか、青少年の健全育成とかいって、その具体的項目のほうがHuman Natureを鑑みるならよっぽど不健全じゃないか、と。


ぐだぐだになってきたので今回はこのへんで(^^;;

*1:どこかの芸能プロダクションの、タレント募集のメッセージにあった話をもじってみました。どこの芸能プロだったか、またそのメッセージの正確な内容は思い出せませんでした(^^;