ヒマ人礼賛

ぼくは他人を「ヒマ人だな……」といって揶揄する人間になりたくないなあ、とつねづね思ってます。その理由と思われるものををいくつか思いつくままに書き出してみました。

一、ヒマ人という生き方

ヒマ人は理想とする生活スタイルですからね。自分がそうなりたいものをけなすはずがありません。
他のすべての条件が同じであったとしたら、「忙しいこと」と「ヒマであること」と、どちらがいいでしょうか。ぼくは何の躊躇もなくヒマであることを選びます。つまり、「忙しいは正義」という人はふつう、「忙しいこと」そのものではなくて、その副次的機能に意義を見いだしているわけでしょう。
また、こういう揶揄の仕方をする人は、自分が忙しくて大変なのに、というやっかみをそこに含めていることが多いように思います。

二、ヒマ人という贅沢

ヒマであることは「タダ」ではありません。
なぜなら、その時間働いていれば得ていただろう収入をコストとして支払っている、と言えるからです。もしヒマが妬ましいなら、自分だってヒマをつくってみればいい。それには、かなりのお金と、少々の“勇気”が必要であるということを、いざ実行しようとしてみればすぐにでもわかるはずです。
まあ、不労所得で生きてける人に対してのやっかみなら、よくわかりますがね(^^;


もう一つ付け加えるなら、多くのサラリーマンにとって「サービス残業」は当たり前のようになされているだろうと思いますが、この労働時間はサービス、つまり「無給」で働いている(働かされている)わけだから、収入すら得ていないわけでしょう。同じように無給なら、働くより遊んでいたほうがいい、という価値判断は、“ありうる”と思います。

三、ヒマ人という趣味

「ヒマ人」という言葉には、どうも「どーでもいいことを一生懸命やっている」というニュアンスが感じられることがあります。
しかし、「どーでもいいこと」と言ってしまったら、この世の中、どーでもよくないことなんてそんなに多くはありません。