過労について(2)

ウェブ上に適当な資料が見あたらなかったので直接お見せできないのが残念ですが、前回紹介した森岡孝二『働きすぎの時代』には「労働時間の二極化」を示すグラフが示されていました。
労働者全体でみると一見ここずっと年間労働時間が減っているように見えますが、この本によれば過去十年間で、労働時間が週35時間以下の割合と週50時間以上の割合がいずれも「倍増」しているという話なのです。負担の重い人がさらに重い負担を背負うことになったわけですから、こりゃあ過労死も増えらぁな、と。
その状況を生みだした大きな原因が、平成不況です。会社の収入が減る→人件費を削る→正社員を減らして非正規雇用化する。切られたぶんは不安定になるんですが、残った社員も生活は安泰とは言えないし、仕事はラクになるどころかよほどキツくなっている、というのが実態です。ぼくの職場もまさにそうでした。また、IT社会化などがこの流れをよけいに後押ししている面もあるでしょう。SEの徹夜仕事はよく聞くところですし、インターネットグローバリズムによってアウトソーシングというか非熟練労働の海外移転もすすんでいます。
これが、過労の“時代的背景”です。


一方で、同時代にあってもヨーロッパの先進諸国は日本のようにはきつくないわけですね。確かに「先進国」というくくりで見たときに、日本の労働時間は飛びぬけている。「karoshi」が国際語になる所以です。それではこの、過労の“文化的背景”は何か。
ここで参考になるのは、大野正和『過労死・過労自殺の心理と職場』ISBN:4787232118『まなざしに管理される職場』ISBN:4787232495。日本において労働時間が長く、過労死や過労自殺が大量発生するのは、日本がチームワークを重んじる「和の精神」の国だからなのではないか、大雑把にまとめればそういうことになる。
欧米人の労働観についての文献というと、古典としてマックス=ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』通称「プロ倫」がすぐに思いつきます。仕事というのは「天職」であって、人間の労働は神のためになされるものであり、個人個人に果たすべき役割が決まっていて、その役割のパフォーマンスは上司がコントロールする。そういう“垂直的”なものです。
これに対し日本人の労働観は次のようなものです(とされます)。労働は基本的にまずもって同僚のため、ひいては「お客様」のためになされ、要するに世のため人のためのものである。職場は家庭のような場になっていてお互いの配慮のもとに回っており、互いに気を利かせて補いあうために労働者にはゼネラリストたることが求められる。欧米の労働者が割り当てられた自分のノルマをクリアすればさっさと定時で上がれるのに対し、日本では「他にまだ残って仕事をしてる人(同僚)がいるから」帰れない。自分の仕事のコントロールは、上司というよりは同僚の“目”を気にすることで達成されるわけです。これは“水平的”と言うことができる。
ノルマがクリアできないと、欧米なら「そんな過ぎたノルマを課した上司が悪い」ということで済ませることができますが、日本ではそれが「仲間の足を引っぱる」ことにつながり、そのような状況の出来を許せないために「自分が悪い」と自罰的になります。同僚から“求められていると考える”役割を果たすことに必死になるあまり、いきおい労働時間は延びていく。とりわけ、真面目で責任感が強く他人への気配りも人一倍という、労働する日本人の「理想」を体現する人物ほどその傾向が強く、職場・同僚への配慮から様々な仕事や責任を次々と率先して自分でかぶっていって、ついには「自滅」のように過労死・過労自殺に至ってしまうわけです。


問題は、日本人の「過労」は見かけ上「自滅」に見える、ということです。
上司が明らかに無理難題をふっかけて、それで労働時間が増えサービス残業が増えた、というなら、どうしてくれると訴えることもたやすいでしょう。ところが日本の場合、「察する」文化であるために、直截言われなくても心ある人は勝手に自分で引き受けていってしまうわけですね。
でも、そういう人でも仕事が好きで好きで仕方ないからやっているのではない。それは過労の渦中にある人が「あなた、少しぐらい体を休めたらどうなの」と言われたときに、苦悶の表情を浮かべつつ「仕方がないんだ」と言いおいて職場へ出かける、その様を思い起こせばすぐにも理解できることです。それこそ先に述べたとおり、責任感が強く他人を思えばこそ「どんなにキツくたって今俺がやらねば皆に迷惑をかける」と考えて自縄自縛の状態にハマっていくのです。
このような文化のある地域で、過労死させないために本人に「だからって」などと諭してもムダです。他人に申し訳ないと思うからこそそういう状態にハマるわけですから。本気で過労死・過労自殺を無くしていくためには、本人に「休んでいい」*1という強力なエクスキューズを与えることが必要で、それは端的に言えば、上(本社でも、国でも)が強権を発動して労働基準法のようなルールの遵守を各事業所へ押しつけることでしょう。


しかし、本当に日本人って元からこんなに勤勉だったのでしょうか? 次のグラフを見てください。

戦前はもっとすごかったようです。こないだ出した発展途上国と同様の状況ですね。これは『女工哀史』とか『あゝ野麦峠』を思い出すと納得がいくようにも思われます。でも、もっと昔から見てみるとどうでしょうか。

歴史学や人類学の研究で、人間はもともとそんなに働く存在ではなかったことが明らかにされています。
人間がこの世に出現してから少なく見積もっても数万年経っていますが、ライオンが一日中獲物を追いかけているのを想像できないことから推測されるように、人類の歴史の大半を占める狩猟採集時代にはもちろん人間はあまり働きませんでした。農業を始めてからでも、日が昇ってから日が落ちるまで一年中毎日働いてたイメージがぼくたちにはありますが、それも後世の想像の産物。人間が今のように猛烈に働き始めたのは、実はイギリスで産業革命が起きてから。明治期にその価値観が日本に伝わって、日本人も時代に追い立てられるようにしてバリバリ働くようになったのです。

*1:「休んで“も”いい」だとこの場合ぜんぜん意味が違っちゃうので注意が必要です。休んでもいい、ぐらいの言い方で休むようなら人は過労死しません。