舟木一夫「高校三年生」

昨日の話の部分的なつづきです。

昔の高校生というと、舟木一夫の「高校三年生」、というイメージがぼくにはありますね。もちろんこの歌がはやった当時、ぼくは影も形もなかったわけですが(^^; それだけにそれは正に「イメージ」の例として好都合かな、と。
ちょっと調べてみたところ、この歌がレコードとして発売され日本レコード大賞新人賞を受賞したのは1963年(昭和38年)とのこと。ということは、この歌で歌われている「高校生」は常識的に考えれば旧制高校生ではないだろう、と推定できます。それでは、「1963年当時の高校三年生」がどんな存在だったのか。ちょっと文科省で資料をあさってみると、こんな表が見つかりました。

ちょっと見づらいかもしれませんが、昭和35年のところに「57.7%」ってあるのがわかりますか? これが昭和35年の高校進学率です。この資料からするに、高校進学率が6割になるかならないか、という感じだったことがわかります。
世間一般が「高校生」といってイメージするのは、その人が当の高校生ではないこと、そしてその人は高校生より年かさである可能性が高いだろうことを勘案すると、実態よりは必ず遅れるだろうと思われるのですが、この資料からするにその5年前で進学率は約5割、だいたいは進学率5〜6割のイメージだったろう、と仮定しましょう。実際はどうだったかなんて知りようがありませんし、専門家であれば当時の風俗資料を発掘してこうだったああだったと言えるのでしょうが、ぼくにはそれはできませんので、こうだったかもなあというあくまで仮定の話ですよ、もちろん。
で、次はこれ。

四年制大学と短大への進学率の合計は、平成17年現在で約5割、というところです。これは各種専門学校を数に入れていないので、それを入れたグラフは(数年古いですが)こんな感じです。

現在約7割5分、という感じ。このグラフからだと、5割を超えたのが昭和52、3年ごろ、6割を超えたのは平成5〜6年というところでしょう。
こんなグラフを出してきていったい何が言いたいのかというと、要するに、舟木一夫の口にする「高校三年生」は、学歴の人口ピラミッドで考えたときに、大学ベースで考えるとようやく平成17年、専門学校を含めると昭和50年過ぎ〜平成5年ごろ、のそれぞれの教育機関に通う人たちと同程度の人種だったのじゃないか、ということです。
細かいことをすっとばした乱暴な議論ですので、後は専門家にお任せしたいところですが、舟木一夫の「高校三年生」は、それが高校三年生の平均的なイメージであったとしても、学歴的には上から30%でした。上から30%って、偏差値的にはどれぐらいでしたっけ? ……それはともかく、舟木の体現する「高校生」像は、往時の青少年の平均イメージを表わすものではありえません。同じように「高校三年生」といっても、高校進学率6割の当時と、進学率10割の現在とでは、比べものにならないことを頭の片隅にでも留めておいていただけたらと思います。