佐藤俊樹『桜が創った「日本」』

桜が創った「日本」―ソメイヨシノ 起源への旅 (岩波新書)

桜が創った「日本」―ソメイヨシノ 起源への旅 (岩波新書)

「桜語り」の社会学、といったような趣きの本。
植物にあまり興味がないこともあって、何で佐藤俊樹がこんなけったいなお題の本を書いたのか、読んでみるまでよくわからなかったんですが、一読「なるほど」。この本はまずもって「桜神話」解体本であり、そして「桜」をモチーフとした言説の社会史本なんですね。採用されたモチーフも、なるほどこれは岩波向きだなあ、と思いました。
日本の「国花」であり(といっても皇室を象徴する菊もそうですが)、古来より歌に詠まれ、とてもなじみ深い花である桜。それは、「サクラサクラ」「桜散る」「桜の代紋」等々、どうしても、日本という国家、その伝統、そして日本人、といったものを想起させずにはおかない花でもあります。桜の「開花宣言」が、「靖国神社」境内にある桜を基準にして行なわれているのも象徴的ですね。


その桜ですが、いろいろと知らないことが多いんだなあ、と。
まず、現在日本にある桜の7〜8割は「ソメイヨシノ」で占められている、ということ。桜と聞いてぼくがイメージするあの木はあくまでもその一品種である(に過ぎない)ソメイヨシノなんであって、そのイメージはいつでもどこでも通用するわけではない、ということですね。
そして実際、そのソメイヨシノは、江戸末期〜明治頃に園芸品種として開発されたものであって、和歌に出てくる「桜」とは別物なのだということ。このことはものすごく示唆に富みます。社会学の左方面では、「日本の伝統」とされてきたことが実は明治近代とともに誕生した、本当は歴史の浅い「捏造された伝統」だった、ということを盛んに言挙げしますが、「桜」もその例にもれなかった、というわけです。ぼくたちはつい「桜=ソメイヨシノ」に託して日本人の心情を云々したりしがちですが、当の桜にはまるで伝統なんてなかったんだ、と。
その上、ソメイヨシノは桜で有名な「吉野」の名を冠していますが、東京の「染井」でつくられた“偽吉野桜”であること。さらには、桜という植物は他の種と混じりやすいため生まれた種は親と別物になりやすく、それを避けるためもあって、ソメイヨシノは(つまり日本の桜の大部分は)挿し木や接ぎ木によってつくられた、同一遺伝子を有する「クローン」であるということ。
ここまでくると、「桜神話」ということの意味がよくわかるように思います。その上でこの本では、桜、及びそれに託された「日本」がどのように語られてきたのか、ということを分析します。そうして、日本近代の桜語りが、ソメイヨシノの誕生=「ソメイヨシノ革命」によって初めて可能となったものであることを暴いていくわけです。


ヘンな話、自分の誕生日が9月1日(と思ってこれまで過ごしてきた)として、あるとき親から突然「お前の誕生日は本当は4月1日なんだよ」と言われたとしたらどうでしょうか。戸籍を調べるとか何とか一応の確認はできるでしょうけど、それにしたって、自分が生まれた日を“直接”知っている人なんてこの世にいないわけだから、親に言われたことを「へー」と思って聞く以外にないわけです。このことは逆に、なぜ自分はこれまで9月1日を自分の誕生日だと思って過ごしてきたのか、という問題を引き寄せます。
結局のところ、歴史を学ばない限り*1、自分が物心つく以前のことは、あまり確実でないソースからの情報でも信じてしまいやすいし、自分が生まれる前からつづいていると思われることには、何となく「伝統」を感じてしまいやすいんですね。桜なんて「木」だから、それこそ「日本」の歴史と同じくらいの伝統をもつ、と簡単に錯覚してしまうわけです。実のところソメイヨシノの寿命は人間とそう変わらないらしいですけど。
こうしてみると、「日本」というキーワードを想起しがちなものは、何であれその妥当性を疑ってかかる必要がありそうです。はじめは「何で(今度のテーマは)桜なんだろ」なんて思いましたけど、そう考えると、モチーフとして「桜」が選ばれたことの必然性は明らかであると思われます。
また、このところ『桜』だとか『ソメイヨシノ』なんて名前のポップスナンバーも続々とリリースされてますが、これも一種の「桜語り」として、この本を手引きにその歌詞やその曲をめぐる言説(歌い手の曲に対する思いとか、聞き手の感想だとか)を読み込んでみると面白い発見があるかもしれません。


しかし、何だか「日本人」ってことばがひどく使いづらくなったなあ(^^;
まあ少なくとも、簡単に「○○人は」とか言っちゃう人の言うことは、その人が当の○○人であろうがなかろうが、眉に唾をつけて聞くことをオススメしますけどもね。たとえば、日本人の「国民性」を云々する言説がいかにいかがわしいか、ということについては、杉本良夫・ロス=マオア『日本人論の方程式』ISBN:4480081798、とりわけ「アベコベ日本人論」を参照してみてください。

*1:歴史を学んだからといって、歴史の(歴史上の/歴史的な)問題に対するクリティカルシンキングが身につくかどうかはまた別ですが……(^^;