意味段落と形式段落の区別

それではさっそく、(b)「段落の先頭を一文字あける(字下げ)」について。


……の前に、ここでちょっと寄り道になりますが。
HTMLを読み書きしていて、少しは「ことば」に気をつかうようにしている、という人なら知っているかもしれません。段落の頭の一文字字下げ、という一見あたりまえのことに、かなり大きな問題、というか対立点が存在していて、論争になっていたりするんです(^^;
「段落」というのはHTMLでは<p>というタグで囲って表わす、ということになっています。が、ここで一つ問題になるのが、要するに先の「論争」の争点になっているのが、段落にも2種類、「意味段落」と「形式段落」と呼ばれるものがあり、この2つの区別をいったいどのようにして表わせばいいのか、ということ。
このことばを忘れている人がいると思うので説明すると、「形式段落」というのは、この少し上にある「ここでちょっと寄り道になりますが。」と「HTMLを読み書きしていて、」のように、改行によって区別される文の集まりです。「意味段落」は、この形式段落がいくつか集まってひとまとまりになっているもの。ふつうは空行によって区別します。
で、中には極端なことを言う人もいて、この2つの区別というのは、「国語教育」のためにデッチ上げられたものなのだから、本来は存在しない、だから段落=<p>なんだ、というのですが。ぼくは以前から、自分の書きものでは意味段落と形式段落を区別して書いてますし、そういう書き方ができるということは、このことに一定の有用性がある(ありうる)ということであって、それを否定すべきでないんじゃないか、と思っています。


そんなわけで、手元にある本で実際どうしているのか見てみることにしましょう。ジャンルによって文体は大きく変わる、つまり段落の扱いもジャンルによって異なる可能性があるので、なるべくバラけるようにしました。
はじめに小説。といっても、ぼくはあまり小説を読まないものですから、手元にある本もいきおい限られてきちゃいますが。講談社文庫版『ふしぎの国のアリスISBN:4061472062文学ですが、ザッと見たところ、段落はそこら中にありますが特に区別はないようです。深沢美潮フォーチュン・クエストISBN:4840221014ライトノベル。いやしかし、改めて見てみるとやっぱり段落が短い。1〜2文でポンポンと次の形式段落に移ります。意味段落は、「一時間後……」のように「少し時間が経った」というような、ちょっとした場面転換の際に用いられているようです。
その次に。橋元淳一郎『シュレディンガーの猫は元気か』ISBN:4150501793。科学エッセイです。「科学エッセイ」というジャンルは、あるテーマに関わる科学的トピックをこれでもかというぐらいいろいろ取りあげる特徴があり、この本も例外ではありません。そんなわけで、トピックごとに意味段落ができ、その冒頭に見出しが入ってます。意味段落の前に見出しがあるということは、<p>と実質変わらないことになりますが、しかしこの本でもごくまれに見出しのない意味段落を見つけることができました*1
それから、学術書、の中でも比較的ライトなもの。まず新書から、佐藤俊樹『桜が創った「日本」』ISBN:4004309360。新書というのは、ご存じのとおり、先の科学エッセイとよく似た文章構成をしていて、各意味段落ごとに見出しが入ります。が、この本にも、やはりごく一部ではありますが、純然たる意味段落がありました*2。評論書(?)で、伊藤剛テヅカ・イズ・デッドISBN:4757141297、さっそくありますね。「さて、」というようにちょっとした話題の変わり目でだいたい一行あいてます。
そしてもっとコムズカシイ専門書のたぐいですが、小浜逸郎『無意識はどこにあるのか』ISBN:4896913256。見たところ、意味段落の前には見出しが入っているので、区別はなさそうです。ドイツの古典、カント『道徳形而上学原論』ISBN:4003362519、意味段落どころか、見出しそのものがほとんど見あたりません。最後に論文集として、越智貢ほか(編)『情報倫理学ISBN:4888485739。さすがに論文ともなると、ないだろうな……と思ったら、ごくごく稀ですが、ありました*3
もっと一般的な小説、科学エッセイでないふつうの日記調エッセイ、ドキュメンタリーといったあたりのジャンルをフォローできなかったのが少々片手落ちの感なきにしもあらず、というところですが。ともあれ、以上を見る限り、段落は必ずしも<p>と同じではないし、ジャンルを含めた広い意味での「文脈・文体」によっても段落の意味・意義が違ってくるので、一概にどうしろとは言えないはずだ、ということがわかってきたかと思います。
殊に重要なのは、先ほどからしばしば出てくる「見出しがあるから段落の区別もない」というケースの多さ。逆の言い方をすれば、段落の区別など意味がないという考え方は、事実上(実務上)、意味段落に相当する文章の固まりには必ず見出しをつけろ、というのと変わらないことになります*4。論文など、そうする必要のある文体にはその要求は当然と思われますが、あまりかしこまったものではないカジュアルな文体のもの、たとえば日記だとかくだけた文体の小説だとかに対して、それを要求するのは不当と言えるのではないでしょうか。


ほとんどデザイン設定の話ができませんでしたが、ことばを扱う上での予備知識として、こんなことを頭の片隅に入れておいてもいいかもしれません。
というわけで具体的なデザイン設定についてはまた次回に。

*1:たとえばp.114。「〜かくして、恐竜絶滅隕石説はあまたの反論を受けながらも、次第にその真実性を見せつつあるのだが、まだ学会から完全な支持を勝ち得ていない、というのが現状である。/以上、恐竜絶滅に関するトピックスを時の流れを追ってたどってみたが、」の“/”のところが一行あいてます。

*2:p.iii「桜とはそういうものだとずっと信じていた。/そんな自分の感覚に「あれ!?」と思ったのは、」など。

*3:p.271「このことについては後に再び触れることになろう。/ともあれ、」。

*4:あるいは、強引だろうが何だろうが、とにかく空行も見出しも入れない、という戦略もあるにはありますね。ぼくが今回見た中ではルイス=キャロルやカントの文体がそうです。これが西欧に由来することか、それとも古典に由来することなのか、はたまたそれ以外の理由によるものかはぼくには判断できませんが、そういえば段落一元論の人には「正字正かな」使いのような古典教養主義の人が多いようにも見受けられます。