読書の近況

読書感想文は大変ひさしぶりですが、本自体はずっと読み続けてまして。


blog開設10周年記事で少しふれた「アメリカの政治と宗教」について、本を読みだした直接のきっかけは、今年話題になった大統領選 ・・・ではなく(^^;
昨年末大阪・名古屋に出張する機会があり、休日をはさむのでちょっと観光してみようと旅行や観光に関する本を読み始めたんですね。もちろんその棚には海外についての本も並んでおり、アメリカ関係の本を手にとったところから、トクヴィル、そして… というなりゆきでした。
ちょっと観光の話に脱線しますが、大阪では天王寺から梅田まで歩いてみたんです。少食なので食いだおれできないのが悲しいところではありましたが、大阪自体は何度かきたことがあるものの観光は初めてだったので、いろいろ見られて楽しかったなあ。
一つとても残念なことがありまして。聖地「中之島図書館」が、行ってみたら閉まってたんです…


というところで話を戻して、その次にきた読書テーマのマイブームは「中国の現代史と政治」。アメリカ→中国、という安直な流れですが、アメリカも知らなければ中国もよく知らないな、と思い立ったので。日本が嫌われた理由は、とりあえず理解したように思います。正直を言えば、それはわかったけど「末代まで祟る」てのはどうなの、とも。
で、それもひと段落して、いまの「少子高齢化」に至る、と。少子高齢化は下記の記事でも話題にしており、ずいぶん前から追いかけているテーマですが。

少子高齢化の問題はまずもって福祉と財政、さらには世代間倫理と民主主義いかにあるべきかという話ではあるのですが、派生の話題として住宅問題や孤独死、過疎とU・J・Iターン、地域振興と地域文化の維持・継承といったテーマにもつながり、大問題なだけにいろいろなトピックがあるんだな、と思っています。


あと読書関係で言うと、『バーナード嬢曰く。』という、マンガ原作でアニメ化したものをこないだ2話まで見たのですが。「これはムリだ」と思って切ってしまいました(^^;
同じように「本好き」「本の虫」といってもその内側にはいろいろあるもので。
一般的に「趣味は読書」と言ってる人の読んでる本は、小説ですよね。『バーナード嬢曰く。』の場合は書誌情報のデータベース消費を好む、SFマニアにたまに見かけるタイプの所謂“オタク”と思います。ぼくは本記事でわかるように学術書を読み漁る“学者”タイプの人間なのですが。
知的好奇心にドライブされている点でオタクと学者の間に一見違いはないように見えますが、知識を「目的」とするオタクと「手段」とする学者、というところで話が噛み合わないんですよね。(中にはもちろん、オタク兼学者の人もたくさんいますが)ぼくは、記憶力がふつうの人より劣っているせいでか*1 記憶量を誇ることそれ自体を評価しないので、近親憎悪のような心情も手伝ってこのオタクタイプの人が大層苦手なのです。「せっかく本がテーマになってることだし」と1話切りはしなかったのですが、2話を見て「この路線なのね」と視聴継続を諦めました…


ほか、この頃読んで面白かった本をいくつか、タイトルだけチラ見せして今回は終わり。
いつになるかわかりませんが、次回お楽しみに〜(^^)
・・・『数学ガール』でいつかアローの不可能性定理扱ってくれないかなあ(ボソ



自然はそんなにヤワじゃない―誤解だらけの生態系 (新潮選書)

自然はそんなにヤワじゃない―誤解だらけの生態系 (新潮選書)


医学の勝利が国家を滅ぼす (新潮新書)

医学の勝利が国家を滅ぼす (新潮新書)



おそらくこれが、年内最後の記事になると思われますので。


今年一年ありがとうございました。
来年もまた、どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m


まだちょっとどうしようか迷ってるのですが、もし年内に別の記事をあげたら、ご笑納いただければ・・・(^^;

*1:よく誤解されるのでその都度説明しているのですが、「記憶力が弱い」ことと「博識である(→記憶量が多い)」ことは、ある程度両立するものなのです。
「記憶量」を頭の中に蓄積されたデータの量とします。このとき「記憶力」というものを、インプットしたデータの量に対して頭の中に残った(=セーブされた)データの量の割合、と考えてみるとどうでしょうか。この定義づけは、「記憶量」「記憶力」ということばに対する常識的な理解と齟齬を生じていないはずです。たくさんのことを知ってるから「記憶量が多い」のだし、ちょっと触れただけのことでも後々まで覚えてるから「記憶力がいい」と言われるのですから。
そしてこのように考えると、ぼくのように「記憶力が悪い」のに「記憶量の多い」人間が存在する理由も見えてきます。要するに、インプットの量が単純にひとより多いから、というわけですね。