「現実的な「賢い」生き方のために」の補足

ちょっと落ち穂拾いをば。

「批判的思考は現実的でない」ということを少し書きすぎたかも(^^;
ぼくは批判的思考(クリティカルシンキング)の大ファンなので、その利点をわきまえつつ、それを「万能」であるかのように考える仕方に待ったをかけたつもりだったんですが、そもそも批判的思考を知らない人にとっては、マイナスイメージばかり植えつけてしまう結果となったかもしれません。
批判的思考、あるいはこの文脈ではラジカルな思考と言ってもいいかもしれませんが、ぼくが挙げたその問題点の中心的なものは、考えることのコストの問題でした。またたとえ話をしますが、

A「男があわてた様子で走り去るのを見た」
B「それと同時に女性の『ドロボーッ!』という叫び声を聞いた」

この二つの命題から、C「男は泥棒である」を導くのは論理的に不可能です。もしかすると走り去った男は、実はその人とはまた別に存在する犯人を追いかけている最中だったかもしれないのですから。しかしそんなことは考えだせばキリがありませんし、そのように躊躇しているうちに犯人は逃げてしまうことでしょう。こんなときはとりあえず男を捕まえておいて、本当に泥棒であるかどうかはその後に考えればよいのです。


以前少しだけ書きましたが、ぼくは、生まれながらの元新宗教信者でした。成人と共に棄教しましたが、その手引きとなった考え方はまさに批判的思考です。ぼくは宗教について批判的に考えるうちに、それを信じられない自分に気がついたので、やめました。その判断は間違っていなかったと思っています。
ぼくの哲学の素養はすべて独学です*1ニーチェあたりから入門する人が多いことでしょうけど、ぼくの場合、最初に触れた哲学者は「批判的合理主義」で知られたカール=ポパーでした。そしてポパーの書きものに触れる中で、ぼくが一番感銘と影響を受けたのが、批判的思考の基礎的なテーゼであるところの「可謬主義(fallibilism)」という考え方です。
可謬主義は、fall+able+ismということで、「失敗する可能性を重視する」考え方、と言うことができます。訳語も正にそういう内容のものです。人間は常に間違いうる存在である。だからどんな立場もそれを絶対的に定立するわけにはいかない。しかし、物事をよりよく考えていこうとする限りにおいて、人間は間違う存在だということを常に肝に銘じながら、一緒に考えていこうじゃないか。大雑把に言えば、こんな考え方です。その後、ポパーよりも前に、アメリカのプラグマティズム哲学者・チャールズ=サンダース=パースが可謬主義を唱えていたことを知りました。
ぼくがこないだの書きもので「三誤る」ということを強調したのには、こういう背景もあります。ヒューリスティクスを重視する立場は、だから必ずしも批判的思考と対立するわけではないのです。どちらを選ぶかはその時々の状況、もっと言ってしまえば、費用-効用のバランスによって決められることでしょう。ちなみに、こういう考え方はプラグマティズムから多くを得ています。


批判的思考についてはそんなところで。もう一つフォローしておかねばならないことがあります。ピーター=シンガーの「現実的な左翼に進化せよ」云々、という部分です。
これは、シンガーの著書『現実的な左翼に進化する』ISBN:4105423053からきています。しかし、この本、本当の題名(原題)は「ダーウィン主義左翼」というんですね。実はぼくも、はじめこの「ダーウィン主義左翼」という名前で邦訳書を探していて、見つからないので適当に拾ってきたら、実はその本がそうだったと知ったクチでして。なんて紛らわしい名前をつけるんだ、とそのときは思いましたが、よくよく内容を考えてみるに、この題名は決して「超訳」ではない、と思うようになりました。
実際この本は、従来の左翼知識人たちが政治的観念から進化論を否定してきたという非現実的な態度を戒める内容のものだったからです*2。もちろん従来の左翼の側にも言い分はあります。遺伝の強調は、優生学を引きあいに出すまでもなく、階級の固定化・絶対化につながりやすいところがあり、それを嫌ったからです。しかしだからといって、あるものを無いと言うことが許されるわけではない。あるものはあるんだから仕方がない、まずそれを認めて、認めた上でそれじゃあどうしたらいいかということを考えるのでなければ、そんな社会変革のプロジェクトなんてただの絵に描いた餅、捕らぬ狸の何とやらに過ぎないでしょ、というわけです。
だから、シンガーが「現実的な左翼に進化せよ」と実際に書いてるのか、と言えば、直接そうは書いてませんが、大意としてはそういうことを言っていた、とぼくは考えるので、ああいった書き方になりました。
ところで、実は、このシンガーの本も含まれるシリーズ「進化論の現在」の翻訳を担当しているのは、進化心理学のポピュラライザーとして有名な竹内久美子です。この人の著書は、一般向けの本だからでしょうが、しばしば筆が走ってあること無いこと書き散らしてしまい、そのために進化論の研究者にはウケが悪く、挙句の果てに師匠と共著で『もっとウソを!』ISBN:4167270064したりしました。ぼくもそういう所行を目にしてきて「何だかなあ」と思ってきた人間なんですが、このシリーズの翻訳を手がけたことから少し見直した、という感じです。

*1:このことはつまり、ぼくが専門教育を受けていないただの「アマチュア」であることをも意味しています。実際、外語で書かれた文献は読んだことがありませんし。だから全然威張れたことじゃなく、かえって恥ずかしいことのようにも思います(^^;;;

*2:マーガレット=ミードの『サモアの思春期』ISBN:4789110141な流れを象徴するものと言えるでしょう。