エンジニアでもないぼくがこんなことを書くのもおこがましいとは思いますが、ふと思いつき、ちょっとGoogleしてみて他にそう書いてる人もいないようなのでメモっときます。
バッドノウハウとは
「バッドノウハウ」ということばがあります。高林哲(たかばやし=さとる)*1の造語で、その意味は次のようなものです。
計算機を使っていると、何でこんなことを覚えないといけないのだろうか、とストレスを感じつつも、それを覚えないとソフトウェアを使いこなすことができないためにしぶしぶ覚えなければならない、といった類いのノウハウは多い。そうした雑多なノウハウのことを、本来は知りたくもないノウハウという意味で、私はバッドノウハウと呼んでいる。
ぼくも大学に入ってUNIXを触りだした頃、同じように思ったことが思い出されました(^^;
このサイトの他のコンテンツにも目を通していただければと思います。特に、「バッドノウハウからグッドラッパーへ」という文書。ある複雑なシステムがある。それを使いこなすために、たくさんの複雑怪奇なバッドノウハウが蓄積されていくわけです。それを、もっと人にやさしいインタフェースにするために、グッドラッパーを被せてしまおう。という提案ですが、コメントにあるように、
高林氏が問題としてるシステムは、根本の思想から腐っていて糖衣を着せたぐらいではどうにもならないものであって、ラッパーとかでなんとかなるものは批判の対象としていないと思います。
という指摘に注目。そうなると、根幹のシステムを丸ごと置き換えるべきだ、という方向へ考えが進んでいくでしょう。
この話に触れてぼくが思ったのは、これは「パラダイムシフト」と同じような話だなあ、ということでした。
パラダイムとは
- 作者: トーマス・クーン,中山茂
- 出版社/メーカー: みすず書房
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一番最初に、というか一番最初なんだから当たり前のことですが、新しい研究領域を切り開くような画期的な研究が誰かによって生み出されます。このような性質をもった研究のことを「パラダイム」と呼ぶわけですが、一般的には(俗に、とも言いますが)、このようにして切り開かれた研究領域とそれに付随する思考の枠組みをも同一視してパラダイムと呼ばれます。
ともかく、パラダイムが誕生すると、その後にその研究を土台にして、もっと詳細な ── 意地の悪い言い方をすればチマチマとした ── 派生的問題を解くような一群の研究がドッと出現します。これをトーマス=クーンは「パズル解き」と呼んでるんですが、このパズル解きの状態に移行しフォロワーをたくさん輩出するようになった研究分野は、分野としてそれなりの地位を確立したと言えるわけですね。このように安定した研究領域の地位を「通常科学」と呼びます。
どんな領域の研究でもそうだというわけではないかもしれませんが、それはさておき、通常科学はしばらくするとその枠組みでうまく対処できないような例外的な事例を見つけてしまうんですね。はじめは「例外」の一言で片づけられても、そうした報告が相次ぐとともにそれで済ますわけにもいかなくなり、何とか対処しなければならないハメに陥る。最初のうちは「ちょっとした工夫」で済んでいても、うまく対処できないことをムリヤリ解決しようとするものだからだんだんと無理が重なっていって、巧妙とか精緻とか言えば聞こえはいいですけども、要はパズルの解法がどんどんと複雑怪奇な仕方になっていくわけです。そのやり方は次第次第に行き詰まっていき、破綻に向かって突き進んでいきます*2。
そんな中、それと入れ替わるようにして、そのような例外事例を含めて統一的な仕方でより合理的に問題を取り扱う新たな“画期的”研究、要するに新しいパラダイムが誕生し、古い枠組みは捨て去られ、この新しいパラダイムとそれに導かれる研究が新たな通常科学となる時代がやってきます。このパラダイムの入れ替わりのことを「科学革命」あるいは「パラダイムシフト」と呼ぶのです。
誰が言ったかは忘れましたが、このようなパラダイムシフトの実際は、「科学者の世代交代」なんだということを言った人がいます。
科学革命というのは、一息にパラダイムが入れ替わり、研究者の思考が切り替わる過程ではありません。「そんなバカな」から始まって、次第にその賛同者の輪を広げていく、というかたちで徐々に進行していくのが相場です。旧パラダイムから新パラダイムへの乗り換えは「宗旨替え」に等しく、各パラダイムの支持者のあいだには反発や反目が生まれます。これはある意味“階級闘争”とも呼べ、その意味でもこの事態は正に「革命」なのです。それじゃあいったい、どのようにして新パラダイムの受け入れが進むのか、が問題になりますよね。
「人は歳をとると頭が固くなる、発想に柔軟性がなくなる」とは昔から言われるところ*3。量子力学の確率的世界観に対して、老アインシュタインが述べたといわれる「神は賽を振りたまわず」(神はサイコロを振らない)のセリフはこれをよく象徴するものと言えます。「天才」の代名詞であるあのアルバート=アインシュタインですらそうなのです。実際にどうかは専門家でないのでよく知りませんが、年配の研究者が旧パラダイムにいつまでもしがみつき、新進気鋭の研究者はパラダイムへのしがらみがないので合理的に考えて新パラダイムを積極的に採用していく、ということはいかにもありそうなことのように思われます。
先の指摘は、要するに、パラダイムの交代は科学者個々人が「心を入れ替える」ことで達成されるのではなくて、旧パラダイムを後生大事に抱える旧世代がだんだんと引退していき、新パラダイムを擁する新世代の発言力が増すことによって生じていることを記述したものなのだ、というわけです。
ここまでくると、「バッドノウハウ」と呼ばれるものは、死に体の旧パラダイムをムリヤリ延命させる必要以上のパズル解きの仕方である疑いが濃くなってはこないでしょうか。そして、そのような方法をありがたがることがいったいどれほどの「正当性」を持ちうるのか、疑わしくなってはこないでしょうか。ここはきちんと、誰かが「王様は裸だ」と伝えてあげる必要がありますし、そして可能なら、新しいパラダイムを導いていただきたいものです。
なぜ旧世代が旧式の方法論に固執するのか、ということについては、稿を改めて述べたいと思います。
……しかし、このところ世代論ばかりやっているような気が(^^;