「世代」と「年代」

生年の近い人々を一つの個性をもった集団としてくくる仕方に、「世代」と「年代」という2つの仕方を区別したわけですが、このへんの議論をもう少しだけつっこんでみます。


一般的な意味としてはどちらも似たようなものであって、実際辞書では同義としているものも多いんですが、ここで何らかの区別を導入することには実質的な意義があり、議論のために必要なことなので、一応その名前を使って区別することにします。ぼくは社会学の専門教育を受けていないのでよく知らないのですが、素人のぼくがそう思うぐらいだから、確実に社会学、なかんずく社会調査の領域では、これからぼくが述べることは用語の異同はあれど、常識になっているはずです(というか、なっていると信じたい)。
「世代」というのは、同じ年に生まれた人々をくくった集団のことです。これに対して「年代」というのは、同じ年齢の人々をくくった集団のことを指しています。
世代と年代を区別する、というのは、この定義からして、同じ年に生まれるということと同い年であるということを区別する、ということになりますが、そういうシャレた言い回しをするとよけいに混乱しますね(^^; 要するにここで年代と言っているのは、「50歳代」というときの「歳代」にあたるものを指しています。たとえば、1960年代の20代と2000年代の20代とは、「世代」は別ですが「年代」は同じ、と考えるわけです。また、1960年代の20代と2000年代の60代とは、「世代」は同じで「年代」は別、ということになります。わかりました?
年代という言い方を「年齢層」に変えれば語感的にもっとしっくりくるかもしれませんが、「世代」ということばに合わせたいのでこのように言うこととします。


この区別のキモは、「世代」が一回コッキリであるのに対し、「年代」はいつまでも続く、ということ。その年に生まれた人が全員死んでしまえばその世代は消滅するのに対して、その年代の人間はいつでも存在し続けます。とすると、ある集団の個性ということを考えたときに、世代と年代とでは違ってくるわけです。
年代のもつ特質というのは、世代間の「同質性」と世代内の「異質性」ということに焦点があります。その歳であれば、どの世代の人間だろうと、他の年代に比べてかくかくしかじかの性質を備えているはずだ、という。あるいは、同じ世代であっても、歳とともに“その歳らしい”性質を身につけることで変わっていく、ということです。翻って、世代のもつ特質というのは、世代内の「同質性」と世代間の「異質性」ということに重きが置かれる。年代のもつ個性がある意味「万古不易」であるのに対して、世代のもつ個性は後にも先にも例がない、ということになる。
そうなると次に、そのような性質の生まれた「原因」に目が向くわけですが、年代の性質が何か先天的なこと、自然的なことあるいは生理的なことを基礎にする(と思わせる)のに対して、世代の性質は個別的な事情や心理的なこと、あるいはその当時の“特別な”社会状況と強く結びつけて考えられる可能性が高い。
すると、ある時点である年代の人々がある特質をもっていたという場合に、それを世代論的にとらえるべきか年代論(≒発達論)的にとらえるべきかで、議論の様子にかなり違いが出てくるだろうこともわかってきます。世代論的なものの見方というのは、だいぶ相対主義に傾きますし、また、その年齢集団の“悪い”性質について考える場合には特にその世代に対する「責任追及」の相を帯びやすく、そのような議論を呼びこみやすいのです。


ぼくたちには、ものごとをいともたやすく世代論的に見てしまうクセがある。年寄りの「今時の若いもんは」論も明らかに世代論です*1
それはなぜでしょうか。もちっと考えてみたいと思います。

*1:その逆に、「年寄りはしばしば『今時の若いもんは』と言うものだ」という考え方は年代論です。面白いですね。